ロックと江戸時代をこよなく愛するフリーのプロデューサー、ライター“EdoJoe”のブログです。「江戸時代に撮られた古い写真と現代写真の定点撮影」「大好きな時代劇のあら探し」など江戸時代に関わる記事を書いています。
 
江戸時代生まれの人が生きていた(^_^)、本当ならいいのに!
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    戸籍問題、凄いねえ!

     そもそも最初は誰だっけ?

     104歳の白骨リュック事件だったけっ?



    思い出さないくらい、ぞくぞく登場!

     文政7年(1824年)生まれの186歳がついに。



    いったいどんなお方達が生きてらっしゃったんでしょうねえ。



    “桜吹雪の遠山の金さん”こと遠山左衛門尉景元様、

    ご健在です。この16年後めでたく北町奉行に就任され、

    「この桜吹雪がお見通しでぇ」と諸肌を脱いだかどうか?



    坂本龍馬さん   生まれてねえ

    篤姫様      生まれてねえ



    個人的興味から気になるのは、初代人気メイド、明和の三美人、笠森お仙がまだ健在!

      あーーー会いたかったーー!




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    【2010.08.26 Thursday 18:24】 author :
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    今川橋
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      >この絵は今川橋往来の図という絵です。今川橋は、他にも地下鉄の三越前の構内にも写しが飾られている「熈代勝覧」という絵にも登場します。今の今川橋の交差点より南に位置する細い道が竜閑川で、そこにかかっていた橋です。








      昭和二五年に竜閑川が埋め立てられこんな風に。








      ここをまっすぐ行くと外堀にでます。そこにも橋があり、現在は竜閑橋という交差点として名が残っています。

      その先に広がるのが鎌倉河岸

      「まっつぐ〜鎌倉河岸捕物控」に登場する豊島屋さんがあった場所です。

      日本最初の居酒屋さんといわれる豊島屋さん、まだまだ頑張ってます。

      http://www.shinisetsuhan.net/toshimaya/

      ところでやはりこの作品に登場する呉服屋松坂屋はあの松坂屋からとったんでしょうかね。

      設定は日本橋になっていますが、本物は上野広小路が最初です。



      佐伯さんの作品にはたまに実在のお店やモデルにしたお店が登場します。坂崎磐音にも小田原の脇本陣「小清水屋」として旅籠小清水屋が登場してました。



      そういえば、この近くで生まれたのが今川焼き、子供の頃好きで五つくらいぺろっと食べてました。
      【2010.08.03 Tuesday 13:38】 author :
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      麻布善福寺
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        善福寺はアメリカ公使館が置かれた場所で、あのハリスが常駐していた由緒ある場所ですが、
        福沢諭吉の墓はあるは、越路吹雪の墓はあるは、空海ゆかりの井戸があったりとゆかりの多い寺です。

        それにしてもこの写真のギャップは凄いです。
        訪ねたときは、ちょうど幼稚園の終園時刻で、おしゃれなお母さん達のお迎えが華やかでした。
        江戸時代は麻布村が点在する山の中だと思うのですが、今や日本で一番おしゃれな町の一つです。

        今の写真では手前の木で隠れていますが、本堂右手に見える枯れた木が今も境内に残る銀杏の木でしょう。銀杏は葉を落としますから、この写真は冬撮られたものと言う事になります。



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        【2010.07.01 Thursday 22:46】 author :
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        日本橋
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          日本橋の魚河岸から通町、つまりCOREDO方面を写した写真。現在は河岸には建物が建っているので、同じ位置からは撮れません。日本橋川に関してはほとんど川岸が残っていないので、残念です。ちなみにまだトライしてませんが、こんなサービスもあります。
          日本橋川と亀島川を船で回る事ができるそうです。



          日本橋魚河岸から通町方向を見る

          日本橋川に宙を取り戻す会という民間団体があります。
          首都高速を地下化して、空と川岸を取り戻そうという実に壮大な計画です。お隣、韓国のソウルは清溪川(チョンゲチョン)という川を復元してますが、工事が始まったときは、私の知ってる人には結構批判的な人が多かったです。「景観だけの為になんでこんなに金を使うのだ」と言ってた人が多かった。今もソウルの渋滞は酷いですが、その頃はとりわけ酷かった。
           都市というのは時代に合わせて姿を変えるものなのできれいになる、快適になるだけではなかなか実現は難しと思いますが、コンセンサスがとれるなら空を取り戻した日本橋川で船遊びをしてみたいと思います。生きてる間にはなかなか難しそうですが。


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          【2010.06.13 Sunday 10:54】 author :
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          牛ヶ渕
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            九段坂を登り田安門の手前から撮った写真です。実に美しい町並み。遠くに?水門が写っており、明治3年以前の写真と言われています。左手川の土手の上は道になっていて、良く見ると二人程人が歩いています。現在は九段会館などが並んでいます。桜並木が葉を茂らせ視界が確保できないので悪しからず。冬に撮れば少し様子が違うかもしれません。

            田安門から牛ヶ渕を臨む

            九段坂は、現代人から見ても決してなだらかとはいえませんが、当時は坂下に人足が待機していて、大八車などが来ると手伝ったそうです。もちろん有料しょう。
            九段坂に限らず、坂の話しになり「昔は難所だったらしいよ」と言うと、時々「それほど大した坂かな」という人がいます。舗装されていない坂を下駄や草履で登ってみると良くわかります。とてもじゃないですがまともに登れたもんじゃありません。乾いていれば土がぼろぼろとこぼれてすべるし、雨がふっていれば濡れてやはり滑る。風情はなくても舗装はありがたいものです。
            【2010.06.12 Saturday 16:34】 author :
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            赤坂御門
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              赤坂御門今昔


              この道の左は紀伊徳川家、今はグランドプリンスホテル赤坂、その赤プリも来年3月には取り壊されます。この道は当時は半分くらいの広さのようです。写真の高速道路より右側は拡張されたんでしょうね。その更に右手は現在衆参議長公邸になっている場所ですが、古地図によると少なくとも宝暦年間(1751年〜1763年)以降は雲州松江の松平家の屋敷であったようです。
               

              そして赤坂御門です。石垣がまだ残っています。立派な石垣です。

               
              赤坂見附後 



              この真下が永田町の駅なんですが、よく考えると正にここが赤坂見附なんです。永田町の駅ができたのは1974年ですから、すでに赤坂見附の駅はあったんですね。不思議なのは永田町開業当初から赤坂見附駅との乗り換えができたはずなのに駅の名前をわざわざ変えたんですよね。今更変えるわけにはいきませんかね。ここを赤坂見附にすると今の赤坂見附はさしずめ「日吉大権現下」とか。



              【2010.06.09 Wednesday 20:57】 author :
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              四谷御門
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                四谷御門の古い写真を見つけました。

                そこで同じ場所と思われる四ツ屋駅の北側を撮影してみました。

                江戸明治東京重ね地図によるとずばりここなのですが。



                門の左側に接する城壁がちょうど土手が終わるところにあたるのでしょう。城壁は多分そのままです。江戸明治東京重ね地図で確認すると、ここは土が盛ってあり、橋にはなってなかったようです。JR(当時は省線?でしょうか?)を通すときに橋をかけたんでしょう。新宿通、つまり甲州街道はまっすぐ通ってなかったんですね。大体城下町はほとんど曲尺手(かねんて)と言って敵が攻めにくいように、わざとまっすぐ道を敷かなかったと言います。甲府にも幕府直轄地があり、かなり重要な方向と考えられていたようですからなおさらでしょう。

                四谷御門、今昔

                四谷が頻繁に登場するのは、なんと言っても、弥七親分が登場する剣客商売。女房のおみねが武蔵屋という料理屋をやっていたのは新宿通の一本北側、今も飲食店が並ぶところです。
                【2010.06.04 Friday 21:02】 author :
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