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江戸時代
腐女子の話題のツイッターに反応してしまったので、せっかくなのでその話題を!
実は、この間某大手DVDレンタル会社の方と話したら、AV借りてる20−30%は女性で、しかもB−LOVEらしい
さて、江戸時代の日本人が同性愛に対してどうだったかと言うと、相当おおらかだったようです。
というより、タブーではなかった考えられます。
衆道、つまり男性同士の性交渉。これは少なくとも武士の社会では当たり前です。武士社会では結婚=家同士の結びつきですから、恋愛から結婚に至ると言う事はほとんどありません。つまり、現代の恋愛に近いのはこちらです。男女の恋愛はむしろ悲劇で、ほとんどが禁断の愛です。
衆道ばかりが記録に残りますが、もちろん逆に女性同士も同じくらいあったと思います。
レズに関する記述が資料として少ないのは、当時の男性上位社会の中で、女性に関する記録が極端に少ないことによると思います。
衆道は、戦国時代から盛んで織田信長、森蘭丸は得に有名ですが、江戸期に入っても、例えば五代将軍徳川綱吉、水戸の黄門様、平賀源内とあげれば切りかありません。(元禄あたりがピークのようですが)黄門様にいたっては「政治は男色ではなく女色のようにしなければならない」という名言?を残しています。この意味は、男色は一方だけが気持ちがいい、男女のエッチは両方気持ちがいいという意味らしいですが、残念ながら経験の無い某としては裏付ける言葉を持ち合わせません。
当時は、更に陰間という専門の風俗までありました。この陰間は美しい男性がお客をとるのですが、中には、女装をする者もいます。ただ、この陰間、必ずしも男性のお客だけを取るとは限りません。有閑マダムが女装した陰間を買うわけです。
このあたりは美しい少年を追いかける現代の女性の風潮に良く似ています。今も昔もビジュアルは大事なのです。
腐女子の方々の興味を失わせるような話しかもしれませんが、衆道は、元々、殿様に「仕える」というところがポイントのようですね。戦になれば、親方様の為に命を捧げるという主従関係、命を捧げるなら、お尻ぐらいは、、と、このあたりは
サムライとヤクザ―「男」の来た道 (ちくま新書)
などの著作を読むと良くわかります。
さて、現代日本人の同性愛に関する意識は世界標準的にどうなんでしょう。
ドイツで閣僚が同姓と結婚をしたとか、カリフォルニアで同姓の結婚を認めるとかという話しがありますが、多分、実は、今もってして、日本人は相当におおらかだと某は思っています。
何故、そう思うかというと、
随分前、ロスト・イン・トランスレイションという映画が大ヒットしていた頃。ちょうど頻繁にアメリカで仕事をしていました。あの映画で、藤井隆演じるマシューがビル・マーレイと共演していたのをご存じだと思います。あの頃、マシューがアメリカでは大人気で、某は彼の番組を録画してアメリカの友人に送ってあげた事があります。
ほとんどのアメリカ人はあの番組が本当にあるとは思ってなかった。というより、アメリカではあり得なかった。敬虔なキリスト教的な視点から見るととんでもないキャラクターで、映画ではありえても、無料で見られるテレビでジェンダーを越えたキャラクターって許されないみたいですね。彼は役として演じてましたが、日本では、そういうキャラクターでテレビに出る人は当時すでにあたりまえでした。日本に来たアメリカ人の女の子がキャーキャーいいながら見てましたし、アメリカに住んでるゲイの友人がうらやましがってましたね。(もちろん、実際に悩んでいる人たちから見れば、日本には日本の問題があるんでしょうけど)
つまり制度の問題ではないんですね。感性の問題として、日本人は「そういう事もあるんじゃない」と考える事ができる。だって、歌舞伎だって、宝塚だって、外国行けばNG出す人一杯居ますよ。
このおおらかさ、某はとっても良いことだと思ってます。