ロックと江戸時代をこよなく愛するフリーのプロデューサー、ライター“EdoJoe”のブログです。「江戸時代に撮られた古い写真と現代写真の定点撮影」「大好きな時代劇のあら探し」など江戸時代に関わる記事を書いています。
 
江戸から東京を眺める
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    旧暦平成二十四年四月二日

     東京新名所スカイツリー、金環食狂想曲の翌日に迎えた待望のオープンだが、あいにくのお天気である。雨が降ると上半分はもやの中だ。まっすぐ伸びた塔が白い闇に消えていく姿はじつに壮観で、全貌が見渡せる時以上に高さを感じさせる。タワー故に細く圧迫感こそないが、もしこれが634メートルの山がそびえていると想像すると、この高さは尋常ではない。第一展望台ですら350メートル、東京タワーの全長よりも高い。「天望回廊」は450メートル関東平野が見渡せるという。



     高いところからの景色を楽しみたいと思うのは、東京に住む現代人も江戸の庶民も同じで、ほとんど真っ平らな江戸の町にもいくつか眺望の名所がしられている。出世の石段で知られる江戸の最高地愛宕山、建造物で言えば四方が見渡せたと言われる大川にかかる永代橋。そして山谷堀が大川に交わるところに待乳山聖天がある。




    眺め見渡す隅田川 月に風情を待乳山、帆上げた船が見ゆるぞえ




    と端唄(端唄「夕暮れ」)にも歌われている江戸の名所である。




     江戸時代には隅田川が見渡せたと言うが、今となっては小高いとも言いがたい。隣接した2階建ての建物で遮られるほどで、丘と言われてもほとんど見落としがちである。





     スカイツリーの展望台に上るための最高倍率はなんと335倍。そもそも試みもしなかったが、たとえ応募していてもプラチナチケットを手に入れるのは望み薄である。江戸の景勝地から東京の新名所を眺めて見ることにした。隅田川も“帆あげた船”視界に入らず、ひたすら現代版バベルの塔の巨大さばかりが目立つ江戸の名勝であった。JUGEMテーマ:江戸時代


    【2012.05.22 Tuesday 23:28】 author : Edo Joe
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    御家人斬九郎
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      JUGEMテーマ:時代劇
        時々、「あら探しするくらいなら見なきゃいいだろう」と時代劇に全く興味の無い友人に言われるのですが、その度に、「うーん、わかってないなー」と口に出さずに思うのです。

       何故なら、私があら探しをするのは、ほとんどの場合好きな作品だからこそなのです。見る度にいろいろ見つけてはにやにやしている。かなり性格に問題があるような気がしますが、つまり一度で見たくなくなる作品はほとんど頭には残らないのです。

       今回はこれまた大好きな渡辺謙さん演じる「御家人斬九郎」です。細かいところは、もちろんおかしな所だらけなんですが、それはさておき、一番の見せ所、斬九郎が自分を名乗るシーンがに違和感があります。

      「松平斬九郎家正」

      普通武士の名前は、姓・通称・諱名(いみな)で構成されています。

      この場合
      姓・・松平
      通称・・斬九郎
      諱名・・家正
      となります。

      問題は最後の諱名です。この諱名は人に知らせるものでは無いのです。どんなに親しくても諱名で呼んだりはしません。それどころか、知らない人がほとんどのはずなのです。諱名で呼ばれると言う事は、相手に支配されると言う事を意味します。大変重要な名前なのです。



      【2011.05.17 Tuesday 21:34】 author : Edo Joe
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      山谷堀今昔
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        戸時代、最高級の男の遊び場吉原。
        その吉原へ行くためのコースで一番メジャーだったのが、柳橋で船をひろい、大川を上り、山谷堀を行くというもの。この写真の場所は、大川から山谷堀を上って少し行ったあたり、聖殿橋の手前だと思います。写真は色を塗られて、まるで絵画のようです。今ならフォトショップで一発加工が可能ですが、手間がかかったでしょうね。




        雪の山谷堀を船でのぼって吉原へ、男冥利につきますが、随分お金がかかったでしょうね。
        昭和53年山谷堀は埋め立てられ暗渠となりました。
        暗渠となった堀は山谷公園と名を変え桜の名所になっています。
        桜が散るとツツジ、そして紫陽花と、季節の花が次々咲きます。今も風情のある場所です。
        【2011.05.16 Monday 22:30】 author : Edo Joe
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        八丁堀の七人〜其の二
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          時代劇専門チャンネルの「八丁堀の七人」も第八話まできました。

          前回話題にした与力の謎が今回も登場しました。
          前回の話題はこちらをご覧ください。
          JUGEMテーマ:時代劇

          今回も、旗本と与力の関係の不思議です。

          捨てられた夜鷹の子供が旗本に拾われ、その子が吟味方与力になる。
          この事がわかれば御家断絶

          という設定です。

          吟味方与力は一言で言えば裁判官兼検察官です。江戸町奉行所は東京都庁に東京高等裁判所と警視庁を足したような組織で、その中で検察と裁判官を兼ねたようなお役目で、与力の中でも花形です。

          このストーリー、後半部分の「御家断絶」は全くその通りです。家柄というのはかなり厳しく。庶民の子を実子と偽って断絶した旗本家があります。

          問題は前半の「旗本が与力に」と言う部分です。
          旗本と御家人の間には大きな差があります。詳しくはこちらをどうぞ。
          つまり旗本の家に生まれた子(ここでは実子として届けられた子)は吟味方与力にはならないのです。御家人が旗本の役に就くことはあっても、旗本が御家人、しかも不浄役人の町方与力などありえないのです。

          もう一つ疑問が沸いてしまいました。
          主役の青山久蔵、何の与力でしょうか?
          これが皆目見当がつきません。
          何故なら、仏田八兵衛ら定町廻り同心は奉行直轄だからです。
          一番関わりが近いのが、吟味方与力なのですが、そうでもなさそうです。
          年番方与力という与力の中で一番偉いお役目、言ってみれば金庫番がいるのですが、それでもありません。
          一体どんなお役目なんでしょう、、謎です、、

          うーん、楽しいぞ、一杯やりながらもう一度見直そう。




          【2011.05.13 Friday 21:05】 author : Edo Joe
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          八丁堀の七人
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            JUGEMテーマ:江戸時代

            時代劇専門チャンネルで人気シリーズだった「八丁堀の七人」が始まりました。
            新しいバージョンは地上派やBSでも放送されてはいますが、今回はシーズン1の第一話からの放送で実に楽しみです。

            さて、今回のあら探しは、主役の一人、村上弘明演じる青山久蔵についです。
            最初の登場のシーン、たてこもった店で娘を犯した強盗犯を、ばっさり後から切り捨て、駆けつけた仏田八兵衛に身分を名乗るシーンがあります。

            「旗本小普請組 青山久蔵」

            この後、青山久蔵は町奉行所の与力として八兵衛の上役の与力として登場します。<意外な出会⇒実は新たに職場に赴任する人>という流れは、現代の刑事物などでもよく使われる出会の手法です。ところが時代劇に関して言えば、こういう出会はあり得ないのです。

            気になるのは青山久蔵の身分です。
            「旗本小普請組」とは無役の旗本で3000石未満の者を言います。無益の御家人も小普請です。旗本は直参と言われる徳川家の譜代の家臣。序列の順に並べると、

            譜代の大名⇒旗本⇒御家人

            の順になります。

            このうち、大名と旗本は、大雑把に言ってしまえば一万石と言う石高で区別されます。
            次ぎに、旗本御家人は、大体ですが、二百石という石高が一つの基準になります。
            (あくまで基準です。二百石以下の旗本もそれ以上の御家人もいます)
            ただ、もう一つ大きな違いがあります。
            それは上様にお目見得が叶うかどうかと言う事です。

            この身分の差は実は大変な差で、御家人から旗本になるのは容易ではありません。必死の努力が認められてなれるのです。よく旗本株を金で買うという話が時代劇にも登場しますが、これは大罪です。それどころか身分を越えて養子縁組をすることすらできません。
            実際、死罪、遠島になっている例が記録に残っています。

            一方町方の与力ですが、こちらは騎乗を許され、二百俵(二百石)をもらっていますが、旗本ではありません。上下役という下級役人で御家人に相当します。お目見得が許されていません。町方というのは大変閉鎖的な役職でほとんど人事の異動がありません。与力も御抱席という一代限りのお役目でありながら、事実上完全な世襲です。言ってみれば専門職です。つまり青山久蔵が出世して奉行になるならわかるのですが、与力になるなど、左遷も左遷、本当にあったなら「ご先祖様に申し訳無い」と腹を切ってもおかしくないような事例です。もし、何かの賞罰であったとすれば、こういう人事を行うよりは腹を切らせるでしょう。

            と、相変わらず、にやにやとあら探しを楽しんでおりますが、このドラマ、私は大好きです。
            しかし、一日一時間ドラマに持って行かれるのはつらい、、、
            一日が50時間くらい欲しい今日この頃です。
















             
            【2011.05.13 Friday 11:46】 author : Edo Joe
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            ドラマJINで使用されていた写真
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                JIN、いよいよ面白くなって来ました。
              昔ながらの時代劇というのが成立しなくなっているので、
              タイムトラベルものとはいえ、時代劇が見られるのは実に楽しいのです。

              このブログをずっとお読みの方はご存じの通り、
              JINのタイトルにこのブログでも使用している写真が使われています。
              江戸の末期フェリックス・ベアトという方が撮った写真がほとんどですが、
              よく残っていたものです。

              この機会に整理してみました。
              以下の写真は一度はタイトルで使用されているものです。

              牛ヶ渕(九段坂/田安門の手前)
              http://edojoe.kijitora.net/manage/?mode=write&eid=3

              麻布善福寺
              http://edojoe.kijitora.net/manage/?mode=write&eid=5

              愛宕神社
              http://edojoe.kijitora.net/manage/?mode=write&eid=10

              島原藩下屋敷
              http://edojoe.kijitora.net/manage/?mode=write&eid=14

              半蔵門
              http://edojoe.kijitora.net/?eid=27
              【2011.05.10 Tuesday 16:58】 author : Edo Joe
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              半蔵門
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                 ここが半蔵門と言われても実はあまりぴんと来ないのです。
                ドラマ“JIN”でもこの写真は使われていました。 半蔵門今昔
                今は門と堀の反対側は同じ高さにあるけれど、当時は差があったのでしょうか。確かに赤坂あたりを歩くと、お堀端の道と堀の水面は同じレベルなのですが。


                同じ位置と思われる場所で撮りたかったのですが 、さすがに中へ入らせて下さいと頼む勇気はありませんでした。
                【2011.05.10 Tuesday 16:53】 author : Edo Joe
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                平成の切放
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                    東日本大震災の発生後、福島地検いわき支部が逮捕・送検されていた容疑者十数人を処分保留のまま釈放していたそうです。震災で警察官が足りなくなり参考人聴取など容疑の裏付け捜査が困難になるうえ、容疑者への食事の提供も十分できなくなる言うのがその理由だそうです。言ってみれば平成の切放ですが、ちょっと江戸時代のものとは違う気がします。
                   
                  切放
                  明暦三年の大火で、時の石出帯刀(いしでたてわき)は、火が牢へ近づくと全囚人を牢から解き放った。人命を尊重し、全て自分の責任において断行した。囚人はその義心に感じ、残らず約束の寺へ集合したことから始まるという。以来それが制度化され、切放と称した、、、
                  「町奉行を考証する」稲垣史生(旺文社文庫)より引用


                  江戸の町で刑が決まらない罪人、つまり未決囚を収容していたのが小伝馬町の牢で、地下鉄日比谷線の小伝馬町の駅に隣接する場所にありました。代々石出家が世襲で奉行を務め、当主は帯刀と名乗った。その帯刀の吐いたと言われる台詞が凄まじくかっこよいのです。
                  「大火から逃げおおせた暁には必ずここに戻ってくるように。さすれば死罪の者も含め、私の命に替えても必ずやその義理に報いて見せよう。もしもこの機に乗じて雲隠れする者が有れば、私自らが雲の果てまで追い詰めて、その者のみならず一族郎党全てを成敗する」

                  男ですよねぇ。仕方のない処置とは言え、捜査が困難になるとか、食事の提供ができないとかという理由がなんとなく情けないと思えてしまうのです。警察が、強制わいせつ容疑などで逮捕された容疑者が含まれていた事を引き合いに出して問題にするのも無理もないと思えてしまうのです。
                   実は江戸時代の切放も制度化されてからは、重罪人は縛り上げ、もっこに乗せて運んだらしいので、なんとか移送できなかったんでしょうか。
                  【2011.03.30 Wednesday 01:25】 author : Edo Joe
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                  春一番とともにくしゃみが、、
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                     ついにやってきました。

                    いや〜な季節です。春一番と一緒に舞い始めました。

                    毎年、今年はパスできるかもしれないと淡い期待をいただくのですが、

                    もちろん幻想でしかありません。

                    ついにドーピングスタートです。

                    これから1ヶ月ほど、つらい季節が続きます。

                    そう言えば、やってくれました。楢崎正剛、流石です。

                    PKをキャッチするなんて、まるで全盛期のピーター・シルトンです。

                    今年もいよいよ楽しみなシーズンです。

                    連覇に期待してます。
                    【2011.02.27 Sunday 02:14】 author : Edo Joe
                    | 新暦日記 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    江戸の春です
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                      JUGEMテーマ:江戸時代


                      新春です。

                      新年あけましておめでとうございます。

                      言葉通りの暖かい日になりました。

                      お天道様にむかってパンパンと手を合わす音があちこちの家から聞こえるような気がしてきます。


                      一夜明けての元日ぶりは福寿草さえ咲かない今日とはちがって、寒いとはいいながらも、大陰暦のお正月だけに、 早梅は香り高く咲いておりました。屠蘇機嫌の恵方参り、産土神(うぶすながみ)参りといううちにも、恵方参りはだんだんと足長になりまして,半日掛り、一日掛りといった案配に成り行く。従って誘い合って一群をなし、洒落のめしに押し出すようにもなり、群産目当てに、辺鄙な所に茶屋小屋も殖えるありさま、田舎とはいえ、名高い料理も出てきました。それもそのはず、芸者を連れ、取り巻きを率いた旦那株が、駕籠をお供にホロ酔いの顔を野風に吹かせて、いい心持ちのブラーリブラーリが珍しくなかったのです。(江戸の春秋〜三田村鳶魚/中公文庫より引用)


                      一見のどかにも見えますが、なかなか賑やかそうにも思えます。

                      寒さの峠を越えると春、暑さの峠を越えると秋,俳句の季語もそうなっています。

                      日本の気候にはこちらのほうがわかりやすい気がします。
                      【2011.02.03 Thursday 09:01】 author :
                      | 旧暦日記 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |